バッティストーニ、来日記念特設サイト♪

2015212日(木)1930分から

イタリア文化会館アニェッリホール

 

*ご来場いただいた皆さま、ありがとうございました!

ここからはレポートです。

写真提供:日本ヴェルディ協会
写真提供:日本ヴェルディ協会

来週から二期会での公演が始まる《リゴレット》ですが、バッティストーニはすでにこのオペラを何度も振っているのだとのこと。ヴェルディがどうしてこの作品を書いたのか、なぜ傑作として受けつがれてきたのか、ということを音楽家として掘り下げてゆくのには時間のかかること。だから回を重ねることで、作品を自分のものとしてゆく機会を与えられたのは、とても幸いなことだ、といったお話から、バッティストーニの講演会が始まりました。

 


司会は加藤浩子さん

そして、通訳は井内美香さんにて進行いたしました。

ヴェルディはその長い作曲家人生の中で多様性のある作品を残しているし、スタイル的にも大きな変化を遂げている。そんな劇的な変化を見せた作曲家は珍しいと、バッティ先生は語り始めます。

その作品群はいくつかの時期にわけることができるわけですが、エポックメーキング的な作品として、ここでバッティ先生から名前の挙がったのは3つの作品。

ヴェルディの最初のオペラ《オベルト》、ドニゼッティ的な部分の残る作品です。

そして《一日だけの王様》、少しナイーブなところもありロッシーニ的なものへの近寄りをみせています。

《ナブッコ》という作品で、ヴェルディは自分の個性を発揮し、そこにはエネルギーのようなものさえ見える。


ヴェルディのもたらした”革命”は、イタリアの劇場だけでなく、世界中の劇場に影響を与えるものだったとバッティ先生は言います。伝統的な劇場において、舞台というのは”個性のないもの”、典型的なものが登場する場であったのが、ヴェルディは個性、人間の奥深さをもたらしたのです。

題材にもシェイクスピア、シラー、ユゴーなどを取り上げることで、内面的なドラマを描いてゆくことになったのです。

バッティ指揮のスティッフェーリオ
バッティ指揮のスティッフェーリオ

ところで、《リゴレット》という作品は、一般的には《リゴレット》《イル・トロヴァトーレ》《椿姫》という括りで3部作の一つと呼ばれることが多いけれど、むしろバッティは《ルイザ・ミラー》《ステッィフェーリオ》《リゴレット》と続く3作においてヴェルディが行った探求の到達点にあるのが《リゴレット》だと捉えているのだそうです。

(この3作、いずれもすでにバッティは指揮しているのですね。特に《スティッフェーリオ》はほとんど上演されることのない作品ですが、音楽的にはとても美しい部分がある、とのこと。残念ながらストーリーが弱くてそれが作品の弱さになってしまっている模様…)

この3作からは、ヴェルディにおいて作曲のプロセスがどう変化していくのかが、よく見て取るのだと言います。

つまり伝統的なベルカントとヴェルディの個性ともいえる新しい表現が拮抗し、3作を通じてより個性的な面が明らかになってくるのです。


たとえば《スティッフェーリオ》においては、冒頭にベルカント風の音楽を聴かせて、”いつもの音楽がはじまる”と観客を安心させておきながら、その期待を裏切って、人間の感情や苦悩を描いていく。《ルイザ・ミラー》でも、ドラマを追うごとに表現主義的な面が出てきて、声にも負担のかかるドラマティックな表現が表れてくる。


バッティ先生は、ここにおけるベルカントの使い方はシンボリックなものだと言います。当時の保守的な中産階級を象徴的に表すのに用いられているのだと。

そして《リゴレット》では、そうしたことを”逆さまに”表現していると評しておられました。

まずリゴレットというアンチヒーロー。

それまで演劇の歴史は、ギリシャ以来の古い伝統をきっちりと守ってきましたが、そのなかで奇形の人物=悪人という類型があるのです。その奇形の人物をヴェルディは主人公に据えたのです。

(とはいえこれはヴェルディだけの発明というわけではありません。ユゴーの『王は楽しむ』という原作もありますし、そうした表現を時代が求めていたのです。)

とはいえ、ここでリゴレット=悪ではない。人間には良い面も悪い面もあって、リゴレットにも、娘に見せる愛情には、彼の”良い面”が表れるわけです。


そしてこの人物描写における二面性・両義性ということに加え、先ほど話されていたベルカントと新しい表現というスタイルにおける二面性が、《リゴレット》という作品のなかに存在します。

スタイルの二面性はすでに《ルイザ・ミラー》や《スティッフェーリオ》にあったものですが、《リゴレット》ではその新しい表現が、よりいっそう生々しく暴力的になっている。


さらに《リゴレット》では、ベルカントを”過去”を描くために用いているという特徴がある。

たとえば・・・

第1幕、家に帰ってきたリゴレットがジルダに母のことを尋ねられ、”悲しいことを聞かないでくれ”という場面。

さらにジルダの”グヮルティエル・マルデ…”と愛する人と過ごした時を思って歌うアリア(「慕わしき恩名 Caro nome」)。

第2幕のマントヴァ公(この人は悪人ですが!と言い添えることを忘れなかったバッティ先生)の「あの娘は捕われてしまった」というアリア。

いずれも美しい瞬間を懐かしむ場面で、ベルカントを用いているのです。


そして美しく懐かしい時間を描くベルカントと、いまの苦しい瞬間を描く新しい表現が、オペラのなかで強烈に対比されることになる。


バッティ先生いわく、この頃までにヴェルディはこうした表現を書ききる技術をすでに備えていた。それによって初めて音楽的な成功を収めたのです。

が・・・、作品としては成功しても、それがすべての人に受け入れられたわけではなかった、とも言い添えてらっしゃいました。

写真提供:日本ヴェルディ協会
写真提供:日本ヴェルディ協会

ちなみに、ジルダの「慕わしい恩名」は第1幕の最後に歌われるアリアですが、愛の表現を描いた典型的なアリアというもので、これ自体は決して個性的というわけではない、とバッティ先生は言います。”ヴェルディは自分の書いているものについては非常に自覚的。だから、型にはまったアリアがここに書かれていることには、相応の理由があるのです。”

通常であれば、華々しいカデンツァを歌いきって拍手喝采を浴びて幕、となりそうなところですが、ヴェルディはその後に続いて次のシーンを演じさせます。(廷臣たちが、ジルダのことをリゴレットの愛人だと思って攫いにくる場面ですね。)しかも、ティンパニの音が葬送のように不吉に鳴り、ファゴットが上の音を、フルートが下の音を奏でるという、かなり珍しい書き方がされています。暗い予感が立ち込める…。

つまり、ジルダのこのアリアというのは、”その後に汚される幸せ”の表現としてあるわけです。

 

(↓YouTubeよりCaro nomeの場面を拝借。シェーファーが歌っているロイヤルオペラのプロダクションです)

その後、加藤浩子さんから発せられた次のような質問にも、バッティ先生はとても明快に答えてらっしゃいました。

「ヴェルディの音楽は、しばしばシンプルすぎる(あのズンチャッチャ節のような…)とも言われるけれど、指揮者としてはその音楽をどのように演奏しようと意識しているのか?」

 

バッティ先生:たしかにヴェルディのオペラのある部分というのはシンプルなところもある。けれどシンプルである意味があるからシンプルなのであって、それを”つまらなく”演奏したとすれば、それは指揮者が悪いのです。

アリアや二重唱のときも、オーケストラはただの伴奏をしているわけではなく、音楽のなかに入っていかなければならない。オーケストラは歌手のカラオケではないのです!

音楽は、言葉が語り切れないものを、いかに語るかということが重要なのです。

 

シンプルななかに深遠さがある。そういう点では、ヴェルディはモーツァルトからよく学んでいる。

 

加藤さん:ヴェルディもモーツァルトも、シンプルなのだけど、そのなかに全てが凝縮されているのですよね。ヴェルディは《ドン・ジョヴァンニ》をかなりよく勉強していたようです。

 

バッティ先生:《リゴレット》のモンテローネ伯爵の声などは、《ドン・ジョヴァンニ》の騎士長にも比せられます。

《リゴレット》の冒頭、マントヴァ公のパーティで奏でられる弦楽のバンダには、ハイドンやモーツァルトの四重奏を思わせるところもあるのですよ。サンタ・アガタには晩年のヴェルディが過ごしたヴィラがあるのですが、ベッドサイドにはいつもハイドンやモーツァルトの四重奏曲が置かれていて、ヴェルディはそうした音楽も吸収しています。

 

その後、話は来週から始める二期会のプロダクションの話に。

このプロダクションはパルマ歌劇場との提携公演なのですが、バッティ先生も”昔のイタリアの伝統の良いところが見られるプロダクション”というお墨付き。

とはいえ、イタリアのオペラの伝統は守っていかなければならないものではあるが、”博物館的”に残すということではいけない。そのためには今日的な”声”が必要です、とも仰っていました。

楽譜に忠実でありながら、自分たちとして”新しいもの”を常に獲得していかなければならない、とも。

今回の上演では、慣習的に”高い声”で歌われる箇所など、それが声のエキシビションのためになされているのであれば採用せず、ドラマに効果的であると判断できれば取り入れる、といった取捨選択もしているようです。


じつは、まだまだ語られていたことは多くあるのですが。まずはここまで。

来週19日から《リゴレット》公演が始まります。初日の19日はバッティの3枚のCDから抜粋で曲を集めた特別ハイライトCDが先着1500名さまにプレゼントされますので、ぜひ足を運んでみてくださいね!

サイン会にてご満悦のバッティ先生
サイン会にてご満悦のバッティ先生

二期会オペラ《リゴレット》公演情報!

 

≪東京公演≫

会場:東京文化会館 大ホール

日時:2月20日(金) 14:00

               21日(土) 14:00

               22日(日) 14:00

上演予定時間:約2時間50分(休憩2回含)

 

≪大分公演≫ 

会場:iichiko総合文化センター

         iichikoグランシアタ

日時:2月25日(水) 18:30

 

公演詳細は二期会HPにて!

さあ、バッティストーニが登場する二期会《リゴレット》もいよいよ明日19日に開幕!

それに先駆けて、17日の夕方、ゲネプロの様子を見学させていただきました。

 

さっそく女子クラ部ライターたちのレポートをどうぞ!!

 

ヴェルディの代表的オペラ《リゴレット》が、二期会によって19日から4日間公演されますが、それに先がけてゲネプロを観賞させて頂きました。
今回の公演の注目でもある指揮者は、女子クラ部イチオシのバッティストーニ!!
2月12日にはバッティストーニの講演会が開催されていて、こちらの模様も女子クラ部でレポートがアップされていますが、そこで注目したのがこの一節。
~オーケストラは歌手のカラオケではないのです!
音楽は、言葉が語りきれないものを、 いかに語るかということが重要なのです。~
アリアなどではオケ=伴奏と感じている人も少なからずいると思うのですが、決してそうではないというバッティストーニの音作りに大注目! そうして始まった前奏曲は、このオペラのテーマ”呪い”が伝わってくるような不気味な響き。
あっという間に前奏曲が終わると幕が上がり、公爵宮廷の大広間を表す豪華絢爛なセットが現れ、設定した時代を想像できる衣装も華やかで、軽快な舞踏音楽にワクワク! アリアや二重唱では、音楽が歌にとけこんでいて、バッティストーニが”オーケストラは伴奏でない”というその言葉に納得できました。 激しさや悲しさ、楽しさなどの音の表情が見事にオーケストラの音で表されているのが素晴らしいなぁと思い、指揮者に目をうつしてみると、オーケストラがバッティストーニの熱のこもった指揮にのせられている様子が伝わってくるようでした。 体全体を使って大きく激しく振っているかと思えば、軽く振っていたり、勢いがあったりと、音楽の表情が見事に指揮振りでも表されているようなのが、観客席から見ているだけでも伝わってくるようでした。
また今回のオペラは、パルマ王位歌劇場との提携公演ということですが、幕が変わって表れる舞台セットが、どれも素晴らしかったです。 華やかな宮殿の大広間、リゴレットとジルダが隠れ住む家、第一幕とは異なる宮殿の様子、二階建ての家と飲み屋、陽と陰が交互に現れるセットにも目が奪われました。
そしてリゴレットと言えば、好色男マントヴァ公のカンツォーネ〈女心の歌〉です! 後半は、この旋律が何度か出てきて、特に最後の重要な場面ではこの旋律が漏れ聞こえてきたためにリゴレットが驚愕の真実に気づいてしまう・・・そんなシーンは涙なしでは見られません。
バッティストーニの指揮で音楽と舞台が見事に一体化したステージは、見逃すことができないシーンばかりで、あっという間に時間が過ぎ去るようでした。
オペラの醍醐味を満喫できた素晴らしいステージをゲネプロで観させて頂きましたが、本番ではより緊張感が高まったステージを楽しむことができるんだろうなぁと感じさせられました。
素晴らしい時間をありがとうございました。

by めろでぃあん

 

「こんなにエキサイティングなオペラだったんですね!かっこいい!」
ゲネプロ終演直後、隣に座っていためろでぃあんさん(女子クラ部リポーター)と思わず興奮して囁きあってしまうほどに誰かと感想を共有したくなる、刺激的で魅力にあふれた《リゴレット》です!

「何度も振っているし、オペラの作品のなかで一番好き」(『二期会通信』vol.300 インタビューより) と語ったバッティストーニが創造する色鮮やかなヴェルディ・サウンドは、時に地鳴りが聴こえてきそうなほどの迫力を備えた大自然のイメージ。
上へと突き上げるように振られる勇ましい指揮棒と、作品への愛が迸るかのような力強い身体表現に思わず目が行きます。
本当に屋敷がそこに建っているかのようなリアルな舞台セットと、細部までこだわられた豪華な小道具、そして煌びやかな衣装たちも私たちを退廃的な貴族の世界へ誘ってくれました。
舞台に立つキャストはもちろん歌も演技も素晴らしく、その繊細な感情表現によってキャラクターが際立っていました。
今までいけ好かないと感じていた人物や少し現実味に欠ける人物までなんだか人間臭く、魅力的に感じられます。
特にマントヴァ公爵演じる古橋郷平さんが朗々と歌い上げる〈女心の歌〉なんて! ハツラツとした色っぽさに、「この歌声を持つ公爵になら、遊ばれてもいい・・・!」なんて、女性なら思わずフラッときてしてしまうのではないでしょうか。そう考えてしまうほど危ない魅力に溢れていた〈女心の歌〉、全女性必聴です!

キャスト、バッティストーニとオーケストラ、舞台のすべてがリアリティーに満ち、息もつかせぬ展開に目が釘付けになりました。
物語の内容を知っているにも関わらず、『私の知らなかったリゴレットの世界』がそこにあり、作品の新たな魅力をたくさん教えてもらったように感じます。

初めて作品に触れる人でももう何度も観賞している人でも、きっと大興奮できること間違いなしです!

by 鷲尾仁美

 

バッティストーニ&カルロ・フェリーチェ歌劇場管弦楽団「イタリア・オペラ管弦楽・合唱名曲集」


TRACK LIST
SOUND
1 ヴェルディ:歌劇《運命の力》より 序曲
SOUND:MEDIAファイルSOUND:REALファイル
2 ヴェルディ:歌劇《ナブッコ》より 「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」
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3 ヴェルディ:歌劇《椿姫》より 第1幕への前奏曲
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4 プッチーニ:歌劇《マノン・レスコー》より 第3幕への間奏曲
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5 ロッシーニ:歌劇《ウィリアム・テル》より 序曲
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6 ロッシーニ:歌劇《セビーリャの理髪師》より 序曲
SOUND:MEDIAファイルSOUND:REALファイル
7
マスカーニ:歌劇《カヴァレリア・ルスティカーナ》より 間奏曲
SOUND:MEDIAファイルSOUND:REALファイル
8 ヴェルディ:歌劇《マクベス》より バレエ音楽
SOUND:MEDIAファイルSOUND:REALファイル
 9 ヴェルディ:歌劇《マクベス》より 「虐げられた祖国よ!」 SOUND:MEDIAファイルSOUND:REALファイル
10 ヴェルディ:歌劇《アイーダ》より 凱旋の合唱 「エジプトとイシスの神に栄光あれ」、凱旋行進曲とバレエ音楽
SOUND:MEDIAファイルSOUND:REALファイル

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