【新国立劇場】カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師 GPを観てきました

「カヴァレリア・ルスティカーナ」より  (撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場)
「カヴァレリア・ルスティカーナ」より  (撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場)

マスカーニとレオンカヴァッロの名前を知らなくても、きっと誰もが知っている(のか?)《カヴァレリア・ルスティカーナ》の間奏曲と《道化師》のアリア〈衣裳をつけろ〉。とくにわたしにとってはここ最近、〈衣裳をつけろ〉の旋律を聴くと高橋大輔の滑る姿しか思い浮かばなくなった・・・というくらい強烈だった2年前のFS。シェイ=リーン・ボーン振付の「道化師」には圧倒されました。

 

ともあれ、いまはオペラの話。

19世紀末のイタリアで、リアリズムを追求する文芸運動の流れに乗って現れた2つのオペラ《カヴァレリア・ルスティカーナ》と《道化師》は、いつの頃からかは知りませんが、2つ一緒に上演されることが、ほぼお決まりとなっています。

 

それまでオペラに描かれてきた歴史的出来事や神話ではなく、これらのオペラでは市井の人々の現実、しかも暴力的で残酷な真実が、その時代の姿のままに描き出されます。

 

つまり《カヴァレエリア・ルスティカーナ》は、結婚しないまま恋人と関係をもったヒロインの深い愛と嫉妬の物語。その恋人はすでに別の男と結婚した元カノと不倫中で、恋人に見捨てられたヒロインは憎しみのあまり、恋人の不倫相手の夫に告げ口。当然、男二人は決闘となって、恋人は殺されるのだけれど、すでに死を予感していた恋人が、最後に母にヒロインのことを託していくのがなんともやり切れないというか。

一方《道化師》は、旅芸人一座の座長が、妻と村の若い男の不倫現場を目撃し、演じている芝居の最中に(しかも芝居でも現実とそっくりに、妻の浮気をなじる道化の役だった!)、怒りのあまりわれを忘れて妻を殺してしまうという話。しかもこの殺人劇には、座長の妻に袖にされた一座の男の嫉妬もからんでいるという。

(ちなみに《道化師》のあらすじは、以前Facebookでもご紹介したことがあります。)

5月14日から、新国立劇場ではこの両オペラの新プロダクションが上演されますが、これを演出したジルベール・デフロのコンセプトがユニークなのは、神話からオペラのテーマを奪いとったと思しき現代イタリアのメロドラマが、実はギリシア演劇から地続きのものだったと主張していること。

 

デフロの言葉を借りれば「ギリシア悲劇で運命を決定づける神だけれど、これらのオペラでは貧しい人々の感情がそれを決める」のだと・・・そして、そのコンセプトのもと、このオペラの悲劇は、いまのシチリアにも見ることのできる、古代ギリシアの劇場跡で展開されるのです。

台本に示された《カヴァレリア・ルスティカーナ》の舞台はシチリア、《道化師》の舞台はシチリア島を臨むブーツのつま先、カラブリア州。

このプロダクションでは、2つの悲劇は同じ舞台の上で起こります。

「カヴァレリア・ルスティカーナ」より 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
「カヴァレリア・ルスティカーナ」より 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

《カヴァレリア・ルスティカーナ》の幕が開いて、まず驚いたのはその美しい風景。オリーブの木に包まれたギリシア劇場の遺跡の向こうには、大きな空が刻々とその色を変えて広がっています。

舞台の前方には折れた柱が並んで、その向こうで演じられる悲劇を見守る観客のように(いや、実際そうなのですが)自分の存在を認識させられます。

 

この舞台造形に、わたしの《カヴァレリア・ルスティカーナ》像は、大きく揺さぶられました。”乾いた空気をまとった殺伐とした風景”が不動のイメージだった、わたしの《カヴァレリア・ルスティカーナ》。それがこんなに牧歌的な情景の中で演じられているショック・・・。

その乾いたイメージがどこから来ているのかと、しばし考えてみたのですが、それはひとえに「ゴッド・ファーザー」のせいに違いない。わたしのシチリアのイメージといえば、「ゴッド・ファーザー」しかないのだから・・・。

「道化師」より 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
「道化師」より 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

額縁の向こうに、静かに展開する《カヴァレリア・ルスティカーナ》の舞台を打ち破るように、《道化師》は、客席に乱入し、通路を練り歩く旅の一座によって、にぎやかに幕を開けます。

 

すでにその前にこのオペラには、道化師が幕の奥から躍り出て”衣裳をつけた道化も人間、普通の人と同じように感情があるんです”という旨の口上を述べるプロローグが差し込まれるんですよね。

 

そもそも、道化師って誰なんでしょう。

「道化師」より 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
「道化師」より 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

この口上を述べる道化師はトニオ。オペラの中では座長の妻に横恋慕して、振られた腹いせに報復を企てる一座の男。

ところがオペラの劇中劇では道化師パリアッチョに扮しているのは、座長のカニオ。例の〈衣裳をつけろ〉を歌うのは、このカニオなのです。

劇中のパリアッチョ=カニオは、現実さながらに進行してゆく劇に(つまり妻の不倫現場を目撃する)、いよいよ劇と現実の区別がつかなくなると、”もう道化じゃない!”と越えてははいけない一線を越えて、コロンビーナに扮していた妻ネッダを刺してしまう。思い余って出てきた現実の不倫相手シルヴィオもグサっと。

 

そして告げられる「芝居は終わりました」の台詞・・・これを宣言するのは今回はトニオです。

「道化師」より 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
「道化師」より 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

カニオの台詞とされることが多いこの言葉、やはりトニオでなければ、と納得させられたのが今回の演出でした。

 

これはトニオ役のヴィットリオ・ヴィテッリの好演によるところも大きいのかもしれませんが、まさにトニオこそがこの悲劇の根源であると、まざまざと見せられた舞台でした。

あやうくトニオに同情しそうになるほどに、生々しい感情のゆれを示していたヴィテッリのトニオ。

かつてギリシア悲劇で運命を決したのが神であったように、トニオの歪んだ悲しみと妬みが、登場人物たちの運命を決したのかもしれない、と、はじめのデフロの言葉が思い浮かんだシーンでした。

 

そしてトニオがこの台詞を告げる間、カニオはというと、放心状態のままに客席へと逃げてくるのですよね。ギリシア悲劇さながらに演じられた《カヴァレリア・ルスティカーナ》から、《道化師》に至って見事に”いま・ここに”通じたのかと、演出の妙に感嘆したのです。

 

さて、新国立劇場による「カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師」特設サイトはこちら

上演は、5/14(水)、17(土)、21(水)、24(土)、27(火)、30(金)の6日です。

 

もっとマニアックに《道化師》を楽しみたいというあなたには、広瀬大介先生が超まじめに脇役になりきる「なりきりオペラガイド」をオススメ。

殺人事件の参考人ペッペが、刑事たちの取調べを受けます。楽曲解説もさりげなく、なおかつマニアックに施されているのは、さすがです。

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