夏のバッティストーニ・レポート vol.2「いつも、指揮者ばかり見ていた」

ヴェローナにてご機嫌のバッティストーニ
ヴェローナにてご機嫌のバッティストーニ

お待たせしました、加藤浩子さんによる夏のバッティストーニ・レポート、その2はアレーナ・ディ・ヴェローナでの《仮面舞踏会》観劇を果たした翌日、加藤さんとバッティによるインタビューの模様です。

 

いつも、指揮者ばかり見ていた

〜アンドレア・バッティストーニ、インタビュー@ヴェローナ

ヴェローナ、アディジエ川沿いの風景
ヴェローナ、アディジエ川沿いの風景

 「いつもね、オペラグラスで指揮者ばかり見ていたんだよ」

 北イタリアの美しい古都、ヴェローナ。アディジェ川沿いに開けた世界遺産の街の最大の名所と言えば、ローマ帝国時代のアレーナ(闘技場)だ。ここを会場に開かれるオペラフェスティバルは、ヴェローナの、いやイタリアの夏の風物詩だが、この街生まれの指揮者アンドレア・バッティストーニにとっては、幼い頃から一番なじみの「劇場」だったことは言うまでもない。「初めてアレーナでオペラを観たのが何歳の時だったのか、何を観たのかは覚えていない」けれど、「オペラグラスで、いつも指揮者ばかり見ていた」という。「はじめから指揮者に興味があったの?いつかは指揮者になりたいと思ったの?」ときいたら、そう、とうなずいた。

 音楽一家とまでは言わないが、バッティストーニは相当に音楽的な環境で育っている。父は音楽好きの勤務医。母はピアニストで、弟たちも本人同様、ヴェローナの音楽院で学んでいる。「音楽をするために生まれてきたと思う?」という問いには、「もちろん」と断言した。音楽院では初めチェロを学んだが、「チェリストにもなれたと思うし、かなりいい線に行けたと思うけれど、もっと大きな表現手段が欲しかった」と率直に言う。以前、「オーケストラは大きな楽器のよう」だと語っていたが、たしかにオーケストラ以上にスケールの大きな楽器はないだろう。バッティストーニのつくる音楽じたい、スケールの大きさがひとつの特徴だ。

アレーナ外観
アレーナ外観

 そのなかで育ったようなアレーナの音楽祭でオペラを指揮するようになって4年目の今シーズン、バッティストーニは音楽祭のオープニングの演目で、唯一の新制作である《仮面舞踏会》を任された。「どんな気分だった?」とたずねると、「責任重大。でも生まれ故郷の大好きな街だからもちろん嬉しいし、アレーナの雰囲気は特別だよね。巨大な会場だからふつうの劇場とは違う色んな難しさがある。でも4年目になって、いろんな問題の解決法も少しずつ分かってきた」。もともとバッティストーニの指揮姿は大振りだが、アレーナではいちだんと振りが大きくなっているように感じるのは、会場のせいもあるようだ。

 たしかにアレーナは難しい。舞台が大きくて音が届くまでに時差!が生じてしまうし、オーケストラもどうしてもぱらつきがちだ。そんな彼らをまとめるのは大変な仕事なのだが、バッティストーニが指揮台に立つと、楽団員の集中力ががぜんアップする。彼の解釈には、団員たちを惹き付ける「何か」があると思うのだが、その秘密は何だろうか。

 「自分の仕事を言葉にするのは難しい」。バッティストーニはちょっと考えるふうだった。「僕がイマジネーションして、確信したことを伝えるわけだけれど。ただ、その時のコミュニケーションは言葉に多くを負うわけじゃないので」。ただ、「練習が始まる前に、はっきりしたイメージを持っていることは重要。欲しい音もきちんとイメージしておく。作品に対する解釈は、1年後には変わるかもしれないけれど、今の時点ではこう、だという確信を持っていなければ。もちろん練習が始まれば、オケのメンバーと話し合って変えることもあるけれど。

 自分が果たす役割についても同じ。揺れていてはだめなんだ」。

 そんな彼がいつも心がけていることは、「書かれていることを深く読み込み、表現すること」。「唯一の正しい解釈なんてない」といいながらも、「幸いなことにベートーヴェンもヴェルディももういないから(笑)、自分が作曲家になったつもりで、彼ならこうしただろう、と考える。今は《仮面舞踏会》を指揮しているから、それに集中して、ヴェルディになったつもりで、どうやるべきか考える」。

開演前のアレーナ
開演前のアレーナ

 スコアを読むのはもちろん、本を読むのも大好きだというバッティストーニは、演奏する作品のこともよく勉強している。《仮面舞踏会》はフランス・オペラをイタリア・オペラに翻案してできあがった作品だが、「たんなる翻案だけじゃなくて、ヴェルディがパリで見ていたたくさんのフランス・オペラの影響がある。それと、喜劇と悲劇、コミックとドラマトゥルギーが完全に同居していて、彼の《ドン・ジョヴァンニ》と言える作品なんだ」。実はヴェルディにおけるモーツァルトの影響が言われる時、《仮面舞踏会》はよく《ドン・ジョヴァンニ》との共通項が指摘される作品なのだが、さすが勉強家だけあって、その辺もちゃんと押さえているようだった。

バッティストーニ指揮/東京フィル演奏の《ローマ三部作》
バッティストーニ指揮/東京フィル演奏の《ローマ三部作》

 オペラの国イタリアの出身で、これまで常任のポストといえば劇場でのそれが主だっただけに、どうしてもオペラでの活躍が多かったバッティストーニだが、コンサートの指揮にももっとチャレンジしたいようす。しかも、大きな夢がある。

 「イタリアといえばどうしてもオペラになってしまうけれど、実はイタリアのオーケストラ作品にも、素晴らしいものが沢山ある。バロックから20世紀までね。バロック時代は、イタリアは器楽の国でもあったんだ。そんな素晴らしい作品が埋もれてしまっているのは、政治のせいでもある。20世紀に素晴らしい器楽作品を書いた作曲家の多くは、「ファシスト」だと言われて作品が上演されなくなってしまった。レスピーギもそうなんだ。そのなかで、《ローマ三部作》だけがよく演奏されるのは、(ファシズムに反対した)トスカニーニが指揮したからなんだよ。

 そういう埋もれた作品を積極的に演奏する演奏家もとても少ない。ノセダがちょっと、あとムーティが若い頃にやったくらいだ。僕はイタリア人として、その分野にとても興味がある。

 いつか、バロックから現代までの、イタリア音楽のプログラムで、オーケストラコンサートをシリーズでやってみたいな」。

 「音楽」について夢を語るバッティストーニは生き生きとして、とても楽しそうだ。そして「イタリア人」という自分のアイデンティティも、明確に持っている。「外国に拠点を持つつもりはないの?」と尋ねると、「僕はイタリア人だし、ここを本拠にして、自分の国の音楽の発展に貢献したい」とはっきりした答えがかえってきた。

おまけ、バッティオススメのヴェローナ名物前菜
おまけ、バッティオススメのヴェローナ名物前菜

 バッティストーニと話していていつも思うのは、「人生における優先順位」がきちんと決まっているひとなのだな、ということである。目的が明快で、ふらつかない。イタリア人といえば、世間一般ではおしゃれなイメージがあるけれど、失礼ながらバッティストーニは服装にはあまり気を使わない。同席していた彼の親しい友人が、「彼は本は買うけれど、洋服にはお金を使わない」と言ったのは納得だった。「音楽とかに対する感性は女性的だけれど、性格はとても男性的」だというのも。マッチョだという意味ではなく、もの静かで自然体だけれど自分に自信があり、エネルギーと情熱に満ちているということだろう。

 来年、バッティストーニはアレーナで、音楽祭創設の時の演目であり、看板の演目でもある《アイーダ》を指揮する。「(有名な〈凱旋行進曲〉のように)派手なのは一部だけ。実際はとても室内的な作品」を彼がどう指揮するか、興味津々。実はバッティストーニはエネルギーの炸裂する作品ばかりではなく、《椿姫》のようなしっとりした作品も得意なのだ。ちょうど今年の暮れには、イタリア・オペラ界の大御所リッカルド・ムーティも、ローマの歌劇場のオープニングで《アイーダ》を指揮する。新旧二人の《アイーダ》を聴き比べたいなと、妄想をふくらませている今日このごろである。

 海外なんてとても行けないと言う方、来年2月には東京で、バッティの指揮する《リゴレット》が聴けます(東京二期会公演)。名演になること間違いなし。必聴です!

(文・加藤浩子)

さて加藤さんのレポートでも話題となっている、バッティ出演の《仮面舞踏会》、アレーナ・ディ・ヴェローナ音楽祭のオープニング公演がなんと前編アップされました。

皆さん、行った気になって楽しんで~~。

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